砂糖の歴史 日本編②砂糖と菓子の出会い(室町時代)

2019.12.02 知識情報

砂糖の歴史 日本編②砂糖と菓子の出会い(室町時代)

まんじゅうようかんカステラ室町時代砂糖の歴史

「薬品」から「食品」へ

奈良時代に砂糖が伝来して以来、長い間薬品として扱われていた砂糖ですが、徐々に輸入量が増加したこともあり、室町時代に入ると食品に使われ始めました。

これには鎌倉時代に日本に伝来した禅宗の普及が影響しています。禅宗には食事と食事の間に空腹を満たす軽い食事を食べる習慣があり、この軽食を「点心」と呼んでいました。点心には「饅頭(マントウ)」や「羹(カン)」といった種類があり、饅頭は小麦粉の生地で作る蒸しパンのようなもの、羹は肉や野菜を煮込んだ煮物やスープを指し、どちらも日本に伝えられ変化を見せました。


「砂糖饅頭」登場!

日本の書物で初めて饅頭(まんじゅう)について触れられているのは室町時代初期の『新札往来』で、ここに「砂糖饅頭」という記述があります。また、その後に出た『七十一番職人歌合』という書物には、僧の身なりをした男が蒸籠に入れた饅頭を売る絵とともに「砂糖饅頭、菜饅頭、いづれもよく蒸して候」と記されています。これらの書物により、当時の日本では、少なくとも砂糖が使われた饅頭と菜(野菜)を使った饅頭の2種類があったということがうかがえます。


そして「砂糖羊羹」も

一方、羊羹(ようかん)はというと、中国では羊肉を煮たのち冷えて固まった煮こごりだったものが、日本に伝来したときに小豆を羊肉に見立てた精進料理となり、砂糖が加えられたようです。こちらは『庭訓往来』という書物に「砂糖羊羹」という記述がみられるほか、第8代将軍足利義政が禅宗の僧に砂糖羊羹をふるまったという記述もあります。

もともとは甘くなかった饅頭や羊羹ですが、このような変遷をたどり、今では和菓子としてなじみ深いものになっています。


鉄砲伝来からカステラへ

禅宗では、食後にお茶を飲む際に「茶の子」と呼ばれるお茶請けを食べる習慣もありました。お茶請けはもともとくるみや栗など質素なものでしたが、15世紀の半ばから茶の湯が貴族や武士の間で流行をみせると、次第に茶菓子として発展していきます。

その発展を後押ししたのが、1543年にポルトガル人が種子島に上陸した、いわゆる"鉄砲伝来"です。これを機に南蛮貿易が始まり、カステラ、コンペイトウ、ボウロなど砂糖を使ったさまざまな菓子が伝えられました。日本人で初めてコンペイトウを口にしたのは織田信長で、これは日本を訪れた宣教師から贈られものだったという逸話もあります。

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こうしてこれらの菓子や砂糖は大名への贈答品として用いられるようになり、砂糖の流通が広まった江戸時代には、現在の和菓子に通じる菓子が登場するようになります。次回は江戸時代、鎖国と砂糖の国産化についてご紹介していきます。


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