水飴ってどんなもの?

2023.07.31 知識情報

水飴ってどんなもの?

いろいろな糖

つややかでコクがある水飴はお菓子作りや調味料として料理に使われる甘味料です。その水飴には歴史がありました。
今回は水飴についてお話いたします。



水飴ってどんなもの?


水飴の原料はサツマイモやジャガイモ、トウモロコシ、米などに含まれるでんぷんです。そのままでは甘くないでんぷんを酸や酵素によって糖化させて作られます。


糖化とは、ブドウ糖分子が数千個つながってできているでんぷんを分解し、ばらばらのブドウ糖や麦芽糖などの「糖」に変えることを言います。


また、水飴にはブドウ糖や麦芽糖などのほかにデキストリンが含まれているため、糖が結晶化して固形にならず、とろりとした粘性のある液状を保っています。



昔ながらの製法


現在の製法はでんぷんを酸で分解し糖に変えるものもありますが、昔ながらの酵素による製造も現在でも行われています。


江戸時代の水飴の作り方は、まず、もち米をやわらかめに炊き、それを冷まします。そこに水もしくはお湯と「発芽した大麦」を加えて、一晩保温します。


大麦は発芽するとき自身の種に含まれる、でんぷんを分解する酵素を出して、でんぷんを糖に変え、その糖のエネルギーで芽を伸ばします。その酵素を出している状態の大麦をもち米と一緒にすることで、もち米のでんぷんが大麦の酵素により分解され、糖になっていきます。


一晩保温した翌日、布袋に入れて絞ると甘みのついた液体がとれます。それを煮詰めて水分を減らし、練り上げることで水飴は作られます。



奈良時代にはすでに水飴は食べられていた


日本書記には神武天皇が敵を討つ際に、神へ「八十平瓮(ヤソヒラカ/=多くの土器)をもって水無しに飴(たがね)を造らむ」と祈った文章があります。


そのため日本書記が編まれた8世紀初頭の奈良時代には、水飴の作り方が知られていたと考えられています。



平安時代には水飴を使ったお菓子も登場


日本に入ってきた砂糖は長い間、貴重な薬として食べられていましたが、水飴も栄養価が高いことから、最初は薬として食べられていたとみられます。
また、他の苦い薬に混ぜて飲まれていた記録もあります。しかし、10世紀の初頭に作られた日本最初の漢和辞書『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』にはすでに「飴は米のもやしからつくる」、「オコシは炒った米を蜜(水飴)とまぜてつくる」との記載があり、今から千年以上前の平安時代に水飴を使ったお菓子が作られ、食べられていたのが分かっています。



飴売りパフォーマー登場


室町時代になると水飴を売り歩く人たちが現れます。


砂糖と違い、原料の米や麦が日本各地で育てられていて、水飴の製造に大がかりな装置も不要、製法も確立していたため、早い時代から水飴は庶民の甘味として広まります。


飴売りたちは桶をかつぎ、液状の水飴や現代の「おこし」のようなお米に水飴をからめ、お菓子として売っていたようです。


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江戸時代になると町で水飴を売り歩く行商人たちは、衣装や呼び込みの掛け声、歌など趣向を凝らしていきます。傘をさしたり奇抜な服を着たり、また「唐人飴売り」と呼ばれた、異国の服を着て笛を吹きながら町を練り歩き、水飴を売る人たちも現れました。


目立つパフォーマンスで目を引き、人々を集め水飴を売っていったのでしょう。これらの様子は歌舞伎や落語の中にもたびたび登場します。


このことは、当時、すでに水飴自体が商品としては一般的になっていたこと、そして水飴という甘味が楽しい雰囲気でつい買ってしまう笑顔とともにある食べ物だった、ということを意味しているのでしょう。



今回は昔から庶民にも広く食べられていた甘味料、水飴をご紹介いたしました。 機会があればぜひ、日本で千年以上前から食べられていた伝統的な甘味料、水飴を古代に思いをはせながら笑顔で食べてみてはいかがでしょうか。



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