佃煮 ~美味しさと保存性を両立する砂糖~

2023.08.28 知識情報

佃煮 ~美味しさと保存性を両立する砂糖~

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江戸時代から親しまれてきた「佃煮」の調理に砂糖は欠かせないもの。
江戸時代、佃島の漁業者は砂糖の特性をうまくいかし、小魚を美味しくて保存のきく食品にしました。



新鮮な魚を保存食にして江戸の食卓へ


江戸時代、冷蔵庫や人工の保存料もなく今とは比べようがないほど食品の保存が難しかったころ、東京湾で獲れた魚を庶民の食卓に届けようと開発された食品が「佃煮」でした。


江戸時代、佃島の漁業者たちは将軍家へ魚を納めるかたわら、爆発的に人口が増えた江戸の町で、特権的に魚の流通業も任されていました。この佃島の漁業者に与えられた特権は、歴史上のあの大事件と深いかかわりがありました。まずは「佃煮」を広めた佃島の漁業者のお話しから進めます。



徳川家康の命を救った摂津・佃村の漁民


1582年、京都で「本能寺の変」が起きたその時、大阪の堺に滞在していた徳川家康は自らも身の危険を感じ、地元の三河(現在の愛知県)に逃げ帰ろうとしましたが、逃走は困難をきわめました。そのとき船や食料を用意し家康を助けたのが摂津国(現在の兵庫県から大阪府)、佃村の漁民たちでした。


家康はこの恩を忘れることなく、江戸の開府後に漁民たちをよびよせ、江戸城に魚を納める特別職のほか、漁業権や市中商いなどさまざまな特権を与えたのでした。
そして彼らの住んだ一帯の地名も故郷・摂津の「佃」にちなみ「佃島」となります。



江戸から日本各地へ


佃島の漁民たちは醤油と砂糖で小魚を煮こんだ保存食「佃煮」を作りはじめ、酒や白米によくあう濃い味が江戸の名物料理になっていきます。


これは江戸庶民にも歓迎されましたが、じつは佃島の漁民たちにとっても、商品価値が低い小魚が高く売れることや、天候が荒れるなど漁ができない時でも収入が得られるようになるなどメリットが多くありました。


そうして人気が出て生産も増えたことで、参勤交代で江戸に来る多くの大名やその家臣もこのヒット商品「佃煮」を「江戸みやげ」として国もとに持ち帰るようになります。
このようにして佃煮は全国各地へ広がったのでした。


佃煮_挿入画像1_江戸の古代マップ.jpg



甘みの強い味が保存性を高めています


佃煮には砂糖が使われますが、じつはこの甘みが佃煮の保存性を高めています。


先のコラム 「なぜジャムは長もちする?砂糖の防腐性」でふれたとおり、砂糖には食物に含まれている水分を抱え込み、微生物が水分を利用できないようにする性質があります。
微生物は食品中の水分を使えないことで繁殖が抑えられ、結果的にその食品の腐敗が遅くなります。


当時の江戸時代は「砂糖の流通量」が増えた時期で、やっと庶民も口にすることができるようになりだした時期でした。

砂糖と醤油で小魚を煮たのは、最初は味を良くするためだったと思われます。しかし、徐々に保存がきくことが分かり、さらに生産が増えたと思われます。


魚をよく知る人々が生み出した「佃煮」には、味と保存性の両面で砂糖が大きくかかわっていました。


佃煮_挿入画像2_あさりの佃煮.jpg


現在では、素材を甘辛く煮つめる調理法はそのままでクルミやカシューナッツなどのナッツ類や鶏レバーなど、佃煮のバリエーションが広がっています。


今度お好みの素材でおいしい常備菜、佃煮を食卓にプラス一品、追加してみてはいかがでしょうか?